いのちの意味
久々の更新ですが、いま書くべきだと思うことを書くことにします。
重いテーマですが、いのちについて昔からいろんな疑問を抱えていた私に、
本当にたくさんのヒントを与えてくれた本をご紹介します。
以前にもいろいろなところでご紹介した記憶がありますが、
あえて再びご紹介するのは、最近になって私のブログを見てくださる人へのメッセージでもありますが、この文章を、私がとても刺激を受け、尊敬しているある友人に捧げたい思いからでもあります。
いつか見てくれると思うので。
人はどこから来て、どこへ行くのだろう。
10代の頃、人の生や死にあった時、いつもこの疑問が浮かびました。
こころの法則を知り、人生がまわり始めた2002年、私はNZの図書館の日本語の棚で
遠藤周作氏の本を手に取ります。
その本の冒頭にこんな感じの書き出しがありました。
「博士号をもつ医者に、臨死体験をした人2000人にその体験をインタビューし、まとめた人がいる(誤字だったのか2000人とかかれていたように記憶していますが、実際には2万人)。それによると、人はみな死んだら川や野原など、何かを通って、永遠の、無条件の愛の光にかえっていくのだそうで、それはすばらしい体験らしい。もしあなたの周りに家族が余命いくばくもないと宣告されたり、愛する人を亡くして悲しみにくれている人がいたら、ぜひその話をしてあげてください」
その研究者の名前はエリザベス・キューブラー・ロス博士。スイスに3つ子姉妹の一人として生まれ、お父さんの反対を押し切って医者になるという夢を貫いて、「死」という、誰もが必ず経験する過程を、まるで「臭いものにふたをする」ように扱っていた医療現場に疑問を持ち、真摯に研究された方です。
2003年に博士の訃報を聞いたとき、博士が以前子供に説明していたと言う死の概念「体というさなぎを脱ぎ捨てて、蝶のように永遠の無条件の愛の光へと」還っていったんだろうな、と思いました。
人は死んだらどうなるんだろう。
と思っている方は、一度読んでみてください。
私はこの本を一生持ち続けると思います。
この「人生は廻る輪のように」は、死後の段階を分けて説明しています。
はじめは身体を抜け出し、自分の身体を上から眺めてるんだそうです。
このとき、目が見えない人は見えていたり、歩けなかった人も自分が動けることに気づいて大喜びで踊ったり、五体満足の状態でいるんだそうです。
臨終を告げられた自分の家族がどういう反応をしたかも、医師の話したジョークも、駆けつけた家族がどんな服を着ていたかも、見えているそうですよ。
その後、この世にはいない(亡くなった)筈の、懐かしい人がそばに現れて、再会を喜びます。この時点で多くの人が自分が「死んだんだ」と認識するのだそう。
やがて魂は橋や野原、とにかく何かを「渡り」、その向こうへと行こうとするのですが、
目的の場所からはすばらしい無条件の愛の光を感じ、臨死体験をした人の誰ひとりとして「生き返りたいと思わなかった」のだそうです。その愛の光があまりにも気持ちが良いから。そして皆が自分はそこから来て、そこに還ろうとしていることを知っていて、渡ろうとしたとき、なぜか現実の身体に引き戻され、生き返るのだそうです。
ロス博士は波乱万丈の人生を送られましたが、この人のおかげで人生が楽になった人は多いと思います。私はこの人の本を読んで、たくさんの疑問に対する答えをもらいました。
「夜と霧」(V・E・フランクル)も最初は「ナチス収容所の話なんて、怖い」と言う気持ちがありましたが、読んだあとに押し寄せてくる感動は忘れられません
もう一冊は、ライフ・レッスン。
この両方の本とも翻訳を担当された上野圭一さん、尊敬します。
私はこの本を英語ではじめに読み、その後翻訳されたものを読みましたが、
ロス博士の語り口の印象そのまま、言葉をとても大切に選んで文章にされている印象を受けて、この人も山川夫妻と同様、翻訳を読むときに安心して読むことができる人です。
(「ライフ・レッスン」(ハードカバー)冒頭から抜粋)
『人生のレッスンを学ぶことについて語るとき、わたしたちはじつは、完結していない気がかりな問題の解決について語っている。それはたとえば「そう、たしかにわたしは豊かな暮らしを達成した。でも、ほんとうに生きるために時間をさいてきただろうか?」といった、一番重要な問題のことだ。多くの人は、確かに存在はしてきたが、本当に生きてはこなかった。そして、その人たちは、完結していない気がかりな問題の所在を隠しておくために、莫大なエネルギーを費やしてきた。
(中略)・・・・人生には学ぶべきレッスンがあまりにも多く、一度きりの人生ではとても習得しきることはできない。しかし、学べば学ぶほど未完結の問題が少なくなり、そのぶんだけ充実した人生となって、本当に生きることができるようになる。』
『そして、いつ死ぬことになっても、胸をはっていうことが出来る。「ああ、わたしは生きた!」と。』
(ライフ・レッスン エリザベス・キューブラー・ロス&デーヴィッド・ケスラー著 上野圭一訳 角川書店 P8)
興味深いのは、ロス博士も、セスという存在の口述筆記をしたジェーン・ロバーツの本も、エスター・ヒックスを通して話しているエイブラハムの本も、ノーマン・ビンセント・ピールも、ジョセフ・マーフィも「本当の意味での死と言うのは存在しない」ということを話しています。
この人たちの多くは、「この人の死後」という意味合いのことを話すとき、「Death」(死)という言葉を使わずに「Transition」(移行する)といっています。
魂は永遠なのだと私も思います。


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