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2007年10月31日 (水)

The Science Of Getting Rich (富を得る科学) 第6章&おしらせ

みなさま、こんばんは~~(^^)

お待たせしました!「The Science Of Getting Rich」の第6章をお送りします。

楽しみに待ってくださった皆様、ありがとうございます!

さてさて、皆様にお知らせがあります。
12月に一旦ニュージーランドを引き上げて、日本に帰国することにいたしました!
いろいろやってみたい事もあり、でもNZでの生活も捨てがたく、なかなか決心が付かなかったのですが、一ヶ月ほど前に答えがでました。

おもしろいもので、宇宙が背中を押してくれているのが分かります。
いま間借りさせていただいている部屋に、私の後に入ってくれる人に、とてもステキな友人が決まったり、
安い航空券が手に入ったり。。。

宇宙ブラボー!天に向かって、感謝、感謝です!

1999年以来、新年を日本で迎えたことがなかったので、(NZの夏、つまり日本の冬が旅行業のかきいれどきだったので)8年ぶりに日本で新年を迎えます。
楽しみ~!O(≧∇≦)O
おでんでしょ、肉まんでしょ、お鍋でしょ・・・あれ?食べるものばっかり?

というわけで、日本に拠点を置くことで、いろいろおもしろくなりそうです。
皆様、これからもよろしくお願いいたします m(_ _)m


*******************************************

富を得る科学 Chapter 6-どのようにして富はやってくるのか

 

値段の駆け引きをぎりぎりまでする必要はないといったが、まったくしなくてもよいということを言ったのではないし、他の人との駆け引きをしなくてよいほどあなたが優れているということではない。
私が言いたいのは、不公平な取引をしなくてよいという意味だ。無料で何かを得ようとしなくても、あなたがその人から得た価値よりも多くのものを与えることができる。


人から受け取った以上の金銭的価値をすべての人に与えることはできないが、金額以上の利用価値があるものを与えることはできる。この本で使われている紙、インクや他の素材は、この本の価格には見合わないと思うかもしれないが、ここで述べられる考えはあなたに何千ドルももたらすことになるだろう。

あなたにそれを売った人が価値を見誤ったのではない。彼らはすばらしい利用価値があるものを少ない金額であなたに与えたのだ。

私が著名な画家による絵画を一枚持っていたとしよう。

それなりに進んだ地域でなら何千ドルもする絵だとする。

それをバッフィン レイ(Baffin Ray) にもっていき、そこでセールスマン精神を発揮して、500ドルもする毛皮の束と交換したとしたら、私は彼に間違った判断をさせたことになる。その絵は彼にとっては役に立たないからだ。彼にとってはなんの価値もないし、生活を向上させることにもならない。

しかし私が$50の銃をそれだけの毛皮と交換したらどうだろうか。それなら彼は良い取引をしたことになる。銃は彼にとって使えるからだ。それは彼にもっとたくさんの毛皮を与え、食物を与えることができるだろうから。彼の生活のあらゆるところで利益をもたらし、彼を豊かにするだろう。

 

競争の世界から創造の世界へと自分を高めるとき、あなたは自分のビジネスの取引をしっかり見つめなおすことができる。そしてあなたが人に何かを売るとき、それが彼があなたに与える価値よりも大きな価値をその人に与えないような取引は、やめることができるようになるだろう。あなたはビジネスで誰かをやり込める必要はない。もしあなたがそのようなビジネスにいるのなら、すぐにでもそのようなことから足を洗いなさい。

 

あなたがその相手から得る金額よりも大きな利用価値を与えなさい。そうすれば、あなたは仕事の取引をするごとに世界に良いことをしていることになるのだ。

 


もしあなたが人を雇う身なら、あなたはあなたが払う給料以上の金銭価値を彼らからもらわなければならないが、あなたのビジネスを進化の法則で満たされるようにすることはできる。そうすることで雇われた側が少しずつ成長できるように。

あなたは自分のビジネスでこの本があなたに与える影響と同じような効果をその従業員に与えることができる。自分の事業が成長の階段のようなものになるようにして、すべての従業員が自分達で富への階段を上がろうという気になるように。
そしてチャンスが与えられているのにそうしない人が居るとしても、それはあなたの責任ではないのだから。

 

そして最後に、あなたの思考があなたの周りにあるすべての環境を満たしている見えない存在をとおして富を作り出すのだとは言っても、

突然何もないところに姿を現すというわけではない。

もしあなたがミシンが欲しいとしよう。私が言いたいのは、あなたが居る部屋の、あなたが座っているところやそれ以外の場所でにわかにそのミシンが現れるまで「考える存在」にミシンを印象付けなさいというのではない。
もしあなたがミシンが欲しいのなら心の中でそのイメージを、まさにいまそのミシンが創られている、とか、あなたのところにやってきている、というはっきりした前向きな考えをもちつづけなさい、ということだ。

 

いったんその考えをもったら、絶対にそのミシンは自分のところにやってくるという疑いようのない気持ちでいなさい

それがやってくるという確かな気持ちと矛盾することを考えてはならないし、話してもいけない。それがすでにあなたのものだと宣言しなさい。

 

それは人の心によって動かされた優れた知性の力であなたにもたらされるであろう。

もしあなたがメイン州に住んでいたとしたら、テキサスや日本に住んでいるある人が何かしらの経緯によってあなたが欲しいものを得るという結果をもたらすかもしれない。

もしそうだとしたら、すべての出来事はその人にとってもあなたにとっても良い結果になるであろう。

一瞬たりとも考える存在がすべてを通し、すべてと通じ合っていること、そしてすべてに影響を与えることを忘れてはならない。

考える存在の、もっとたくさんの命へと、そしてもっと良い生活へという願いはすでにたくさんのミシンをつくりだしており、また人がそう願い、揺るがないこころで信じ、あるやり方で行動するならば、いつでもさらに何百万ものそれを作り出すことができるし、またそうなるであろう

 

あなたの家庭がミシンを持つことはもちろん可能である。そして同じように他にあなたが欲しいもので、あなたが自分や他の人の人生を発展させるために使うものならば、もちろんもつことができる。

大きなものを欲しがることに気がひける必要はない。「あなたに王国をあたえるのは父の喜びである」とイエスが言ったように。

元なる存在は貴方の中で生きられる限り生きたいと願っている。そしてあなたが持てるすべてのものを持つこと、そしてそれらを使って最も満ち足りた生活を送って欲しいと願っている。

あなたが富を得たいと願うそのことはすなわち全能の神が自分をもっと完全に近い状態で自分を表現したいということだと気づいたとき、あなたの信じる力は無敵となるだろう。

あるとき私は小さな男の子がピアノに座って、鍵盤をたたいてきれいな音をだそうとして、できないでいる姿を見た。彼は自分がちゃんとした音楽を奏でることができないでいることにとてもがっかりしている様子だった。

わたしが何をそんなにがっかりしているんだね、と訊ねると、かれはこう応えた。

「ボクのなかにある音楽を感じるのに、ボクの指がちゃんとうごかないんだ」

彼の中の音楽は、すべてのいのちに秘められた可能性にある、すべての元となる存在の強烈な願いである。その子供を通して自分を表現しようとする力なのである。

 

神、または一つであるその存在は人間を通して生き、行動し、楽しむのである。

彼はこういう「私はすばらしい形を組み立てるための、天上の音楽を奏でるための、輝かしい絵を描くための手がほしい。小さな雑事を済ませるための足が、自分の美しい姿を見るための目が、美しい歌を歌い、全き真実を話すための舌がほしい。」と。

 

存在するのは人を通して可能性が自らを表現しようとする力である。

神は音楽を奏でることができる者にはピアノやほかのすべての楽器を持って欲しいと願い、また彼らの才能を最高に伸ばし花開かせる手段を持つことを願っている

美に感動できるものにはその人の身の回りが美しいもので囲まれることを願っている。

真実を探ることができるものには旅をし様々なことを見つめる機会に恵まれることを望んでいる。おしゃれをすることが楽しいものには美しく着飾ってもらいたいし、おいしいものを喜ぶ人にはたくさんのおいしいものを食べてもらいたいと願っている。

彼はこういったすべてのものを、彼がそういった人々を通して味わい、感謝し、喜び、楽しまれるからである。

奏でたい、歌いたい、美を楽しみたい、真実を話したい、最上の服を着たい、おいしい食事をしたいと願っているのは神自身なのである。

「汝の意思と行動は神が汝に働きかけているのである」と聖パウロもいうように。


 

あなたが豊かになりたいという願いは、ピアノを弾こうとした少年をとおして自身を表現しようとした無限の存在があなたを通して自身を表現しようとしているのである。

ゆえにあなたが大きな望みをいうのにためらうことはない。

あなたの役割は神に願いを伝え、その焦点をはっきりさせることである。

これはほとんどの人にとって難点である。彼らの心には貧困や自己犠牲は神を喜ばせることだという古い考えがまだ残っているからである。

彼らは貧困が、自然には必要なものであり、神の計画の一部だという見方をする。

彼らは神が仕事を完全に終えてしまい、神が創ることのできるものはすべて創ってしまったと思っており、すべての人に富が行き渡らないので、大半の人間は貧しいままで居なければならないと思っている。

こういった間違った考えを持っているために、富を欲しがるのには恥ずかしいという感情が付きまとう。そしてちょっとした能力以上のものは欲しがろうとせず、すこしの快適さ以上のものを欲しがろうとしない。

 

望むものをはっきりと心に描きなさいといわれたある生徒のことを思い出す。そうすることで創造性のある考えが形のない存在に印象づけられるからと。
彼は非常に貧しい男で、借家に住み、日々生活するのがやっとの暮らしをしていた。
彼はすべての富が彼のものだという気持ちを掴めずにいたので、しばらく考えたあと、彼の一番部屋の床にしく新しい敷物と冬の寒い季節の間家を暖めることができる無煙炭のストーブくらいなら、それなりに相応だろうとお願いしてみることにした。

この本のやり方を実行した結果、彼はそれらを数ヶ月で手に入れることができた。
そのあと彼は自分が欲しいものをもっと願えばよかったのに、とショックを受けた。

彼が住む家を隅々までまわり、改善したいものすべてを書き出した。

出窓をここに、部屋をあっちに、彼は心の中で理想の家が完成するまで付け加えつづけた。

次に家具はどうするなども考えた。全体のイメージを心に描き、「ある手順」で生活し始め、ほしいものに向かって歩みを進めていった。現在彼は家を手に入れ、彼の心にある家の姿のように家をつくりなおしているところである。

そしてつぎに、さらなるゆるぎない信頼のもと、彼はもっと大きなものに取り掛かろうとしている。信頼したとおりに現実となり、同じようにあなたやわれわれすべてにも現実となるのである。

Chapter 6 end

2007年10月29日 (月)

ポッドキャスティングは水曜日に更新予定

みなさま、こんばんは~~(^^)

予定では今日「The Science Of Getting  Rich」のオーディオファイルを更新するはずだったのですが、急な予定が入ってしまったため、今日行なうことができませんでした。

水曜日に時間が取れそうなので、水曜日にUpしますね。
もうちょっとお待ち下さい・・・m(_ _)m

2007年10月26日 (金)

引き寄せている私たち

みなさま、おはようございます(^^)
今日はお休み。久々の朝更新です。

「ザ・シークレット 最初の20分」の字幕のGood の点数がもうすぐ10000に届きそうです。
すごいですね。
他にも冷やかしでなく字幕をつけられた方がいらっしゃるようで、私の字幕がきっかけというのが驚きでした。

これもひとえに、見てくださった方、Goodに投票してくださった方、口コミで広めていってくださった方、皆さんのおかげです。ありがとうございます(^^)

感謝のビームをもいちど!それ!

ヽ(*⌒∇⌒*)ノ::・'°☆。.::・'°★。.::・'°☆。

 

さてさて、昨日、溜まっていたあることを、気分転換にカフェでやろうとお気に入りのカフェに行くと、知り合いがコーヒーを飲んでいました。6ヶ月ぶりくらいです。同じ街に住んでいるのに、会わないときは会わないものですね。

話をしているうちになぜか宝地図の話になり、興味津々で聞き入っていた彼女、さっそくコルクボードを買いに行っていました。

彼女が必要としていたメッセージを私が宇宙から預かって、届けに言ったんだろうな、と思います。

タイミングよくことが運んでいるときは、ちょうど宇宙のリズムと私の意識が調和している目安になります。

今回は、まさにそんな感じです。宇宙に感謝。

逆に、どうもうまく行かないときは、少し立ち止まって自分を内観し、宇宙が伝えようとしているメッセージを受け取る必要があります。
有頂天になっていないか、傲慢になっていないか、焦りや不安に動かされていないか、感謝をしているか。

なかには焦りが先にたってしまい、「なんでうまく行かないんだろう」と落ち込む人もいます。
落ち込んでも落ち込まなくても、どう転んだって宇宙はあなたの見方ですが、心がオープンになっていない限りその答えも解決法も、目の前にあっても認識できないので、ポイントは「そういう自分もアリで、自分はよくやっている」と言ってあげることだと思っています。

(かといって誰にでも「アタシってホントよくやってるわ。エライあたし!」と話すのはお勧めしませんが・笑)

中には「手に入ったとか、成功したところを想像しているよりも、うまく行かないと思ってやったほうがうまく行く」という人もいます。

私の周りにもそういう人がいます。
その人がそう思って、それで成功しているなら、たぶんそうしたほうがうまく行くんでしょう。
ただ、私個人としては、この人は願望実現に執着する傾向があるので、そう思うことで執着を手放す、ということに成功しているんじゃないかな、と思っています。

でも、宇宙は私たちが「絶大なる信頼」を寄せるほうが働きやすくなるので、基本は

・欲しいもの、望むことを明確にする
・宇宙に託す(潜在意識に伝える)
・もらった・叶った気持ちになる(感謝する、次の展開の準備をする、自分にできることをする)

ですね。

なかなか執着が取れない方は、気分転換をして、その思考の連鎖を一旦中断させると良いですよ。

どうやるかって?

昔私がカウンセリングを受けたときに、先生が教えてくれたコツをご紹介します。
以前にもお話したことがあると思うので、記憶にある方も多いと思いますが、
結構使えるので、思い出したら活用してください。

「私はなにかむっとすることがあったりすると、後まで『あの時こういってやれば良かったのに』とか、悶々とすることがあるんですが(Sachi注:あったんだなあ。懐かしい)、どうすれば気分が変わりますか?」
「そうねえ、ネガティブな思考パターンを自分がしているなと思ったときに断ち切る方法
は・・・



バナナを考えること

かしら」

Σ( ̄口 ̄)

はあ?
バナナ?

ためしにやってみてください。

これにはちゃんと理由があって、まったく違うことを考えることで、感情の連鎖が一旦切れるんだそうです。

「この試験に受からなかったら自分はおしまいだ。絶対に受からなければ。
絶対に受かる。受かる受かる。受かりますように。受からなかったらどうしよう。
だめだだめだ、こんなことじゃ、受かるんだ。絶対に受かるんだ。受かるぞー
受からなかったら宇宙のせいだ。うらんでやる。だから受からせてくれよ。たのむ・・・


そういう悶々としている時間を、勉強に費やした方が宇宙も叶えやすいんですがね。

などなど、いろいろぐるぐるそのことについて考えていることに気付いたら、

バナナ!

ウキッ!

ほらね、あの黄色いバナナが頭をよぎったでしょう?

そこで、「・・・ばかばかしい」と思えたらこっちのもの。そのまま意識をなにか楽しいもの、気持ち良い事にもっていきましょう。

バナナだけじゃなくて、他にもいろんなのが使えますよ~

おっきい卵を割ってみたら、双子だったとか、

温泉でだれもいないと思って大声で歌っていたら、人が入ってきたこととか(アタシ?)

おもしろいビデオを見るとか。

意識を向けたことで感じる感情は、私たちが引き寄せる出来事に大きく影響するので、
楽しく明るく、たまにうまく行かないときは内観しつつ、バナナを思い浮かべて乗り切りましょう!

2007年10月22日 (月)

The Science Of Getting Rich (富を得る科学)第5章

みなさま、こんばんは~~~(^^)

少し遅くなりましたが、「富を得る科学」の第5章をお送りします。
3日前に収録したはずのファイルがうまく立ち上がってくれず、やり直しました。

昨日はとても大切な友人が泊まりに来ていて、とてもすてきなニュースを聞かせてくれたので、夜中まで話が盛り上がり、睡眠時間3時間という、何ヶ月ぶりかの無茶をしました。

でも、気持ちが楽しい状態だったので、全然苦にならない。
強烈にいま眠いですが・・・

いま収録の再チェック、編集をしましたが、白状します。自分の声で居眠りしました。
しかも3回聴きなおして、3回とも。(恥)
明日もう一度チェックして、こっそり再編集するかもしれません。
お聞き苦しい点はコメントしてくださるとありがたく受け止めさせていただきます。
というわけで、今日はもう寝ます・・・zzz・・・

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富を得る科学 Chapter 5 – 増幅する生命

 

 

あなたは古い考えの痕跡、つまりこの世には女神がいて、あなたが貧しいままでいるべきと望んでいたり、その目的はあなたが貧しいままでいることで満足するとかいう女神がいるという考えを頭の中から消し去ってしまわなければならない。

 

知性あふれる存在はすべてであり、またすべての中に存在する。すべての中に息づいていて、あなたの中にも息づいている、生きた存在である。

 

意識のある生きた存在であり、すべての知性ある生命が本能的に、自然にそう望むように、自らを大きく、増やしたいと望んでいる。

すべての命ある生き物は自らを殖やし、拡大していこうとしている。生きることそのものがすなわち自身を殖やし、拡大するということなのである。

 

地面に落ちた一粒の種は、さっそく生きるという行動に移し、その結果100粒以上の種を創り出す。命とは、生きることによって自らを何倍にも増やす。それは永遠に「増幅」するのである。その存在を続ける限り、そうせずにはいられないのだ。

 

知性とはそのように殖やし、存続していく必要のあるものである。
われわれが考えるすべての事はまたあらたな思考を産むことになる。意識や気づきは常に拡大している。
われわれがなにか事実を学ぶことはすなわちまた別の事実を知るということにつながる。
われわれがなにか才能を花開かせるとき、また新たな才能を花開かせたいという願いを心の中で作り出す。われわれは命への欲求によって条件付けられ、つねにわれわれにさらなる知識を、さらなる行動を、そしてさらなる向上した自分へとかりたたせ、自己を表現しようとしている。

 

さらなる知識を得、さらに行動し、さらなる自分になるにはわれわれはさらに所有しなければならない。われわれはものごとを活用してこそさらなる知識を得、さらに行動し、更なる自分になるのだから。
われわれは豊かにならなければならない。もっと生きるために。

 

豊かになりたいという願望はつまるところ、もっと大きくなれる命がその器を満たそうとしていることである。すべての願いというのは、まだ実現に至っていない可能性を解き放とうとしていることなのである。

それは自らを実現するために、願いとなって現れるのである。

それがあなたになにかを欲しいと思わせるのである。

 

あなたがもっとお金がほしいと願うのは植物が育とうとする働きと同じである。つまり生命が自己をさらに表現したいという働きなのだ。

すべての源となる存在はこの本来備わっているすべての生命によって左右される。

もっと生きたいという願望に満ちている。だからこそものごとを創造する力があるのである。

あなたが豊かになるのは神の願いである。

神はあなたが豊かになり、たくさんのものを使うことができるなら、そのあなたを通して神自身の存在をより豊かに表現することができるからである。

 

神はあなたがすべてのものを惜しみなく使うことにより、あなたの中でより生きることができるのである。

 

-宇宙はあなたが望むものすべてを得ることを望んでいる。

-自然はあなたの計画に好意的である。

-すべてはあなたにとって自然である。

-これを真実だと心に決めなさい。

 

これらは必要不可欠であるが、あなたの目的は他のすべての目的と調和しているべきである。

あなたは単に瞬間的に大喜びするというのではなく、本当の意味での人生というものを望まなければならない。

人生は機能性があるかないかである。それぞれ人間は身体的、精神的、そして霊的に過不足なく機能してはじめて生きることができるのである。

 

本能的に大喜びしたいからといって下品に生きるために金持ちになりたくもないものだ。それは人生とはいえないからだ。しかし肉体的に機能することは人生の一部だ。そして自分の自然で健康的な体の衝動を拒否して人は完全に生きることはできない。

 

精神的な喜びのためだけに富を得たいと思わないことだ。知識を得るためだけや、望みをかなえるためだけ、また他人よりも輝こうとしたり、有名になるために富を得ようとしないことだ。

それらの願いを持つことは人生の一部ではあるが、知識を得る喜びのためだけに生きるのは、人生の一部分だけを生きるのと同じことである。そしてその人はそれだけで満足することはないだろう。

他人のためだけに富を得ようとしてもいけない。人類を救うために自分を見失っても、自己を犠牲にして慈善活動の喜びを味わってもいけない。魂の喜びは人生の一部分なのであり、他の人生の部分よりもいいとか、崇高であるということはない。

 

食べて、飲んで、それが許される時であれば陽気になり、美しいものに囲まれ、遠くの土地を見て、心に栄養を与え、知性を伸ばし、人を愛し親切にするために、そして世界が真実を見つけるのを助ける良い役割を果たすことができるように、富を得るのが理想なのだ。

 

しかし度を越えた愛他主義は度を越えた利己主義と変わらず、どちらも間違いである。

神があなたが他人のために自分を犠牲にすることを望んでいるという考えを捨てなさい。

また犠牲にすることで神の好意を得られるという考えを捨てなさい。神はそんなことを望んではいないのだから。

神が望むのは、自分のために、そして他人のために自身を思い切り楽しむということである。そして他のどの方法よりも自分を充分花開かせることが他人をさらに助けることにつながるということだ。

あなたは富を得て初めて自分を花開かせることができる。ゆえに富を得るためには自分に一番最初に、一番良い考えをあたえることはまったく正しく、賞賛に値する。

 

とはいっても「元となる存在」の願いはすべての存在のためである。そしてその動きはすべてにさらなる命を与えるためである。その逆には働かない。なぜならすべては平等に富と命を求めているのだから。

 

知性豊かな存在はあなたのためにものごとを創造するが、他の誰かが持っていたものを奪いあなたに与えたりするわけではない。

他と競うという考えを捨てなさい。あなたは創造するためにいるのであって、すでに創られたものを求めて競うためにいるのではない。

あなたは人から何かを奪ったりしなくても良い。

安売りしなくてもよい。

だましたり、立場を利用する必要もない。

誰もその人の能力に見合わない給料で働かせる必要もない。

他人が所有するものをうらやましそうに眺めたり、むやみに欲しがったりする必要もない。

あなたが手に入れることができないようなものを、そしてその持ち主から奪わなければ手に入れることができないようなものを、誰かがもつことはないのだから。


あなたは創造主となるのであり、競争するためにあるのではない。あなたは欲しいものを手に入れることになる。そしてあなたがそれを手に入れるとき、他の人々もいまより多くのたくさんの物をもつことになるのだ。

上記とまったく反することをして多くのお金を手に入れた人々がいることもわたしは知っている。そしてそれについて少し説明するとしよう。
金権政治家といったタイプの、莫大な富を得た人間は時として競争社会で非常な才能を発揮した結果であることもある。また無意識に自分達を「素となる存在」の大いなる目的のもとで始まった産業改革による種の向上への働きと関連付けたということもある。

ロックフェラー、カーネギー、モーガンなどは活発に活動する産業をシステム化し整理する必要性を感じた無意識の代理人であった。結果として彼らの仕事はすべての命の増長に大きく貢献することになる。彼らの時代はしかし終わりに近い。彼らは創造されたものを整理し終えた。そして機械による生産をまとめるたくさんの無意識の代理人たちがさらなる成功を収めるだろう。


数百万長者(日本でいうと複数億単位の億万長者)たちは創世記でいうオオトカゲのようなものである。進化の過程で必要な役割を果たすが、彼らを生み出したその力が彼らを捨てることになる。憶えておきなさい、彼らは本当の意味では裕福にはなっていないのだ。

このような階級のほとんどの私生活の記録は貧困と惨めさの極みが実際のところなのだ。

競争社会で富を確立した金持ちたちはその生活が一生続くわけでも、その生活に満足するわけでもない。彼らは今日のあなたであり、明日の他人なのだ。

憶えておきなさい。科学的に立証されたれっきとしたこの方法で富を得るなら、あなたは競争社会から、またそういった考えからすっかり抜け出し、さらなる向上を果たすだろう。

一瞬でも資源には限りがあるなどと思ってはいけない。

すべてのお金は銀行家やそれらの者によって左右されたり、集められたりしているとあなたが思ったときはすぐにでもこの法則を実行しこの考えが実現しようとするプロセスをとめなさい。

あなたが競争心に自分をおとしめた瞬間にあなたの創造する力は消えてしまう。さらに悪いことに、その創造する働きはすでに馴れている慣習を作り出すことにとどまることになるだろう。

 

何百、何千万ドルの価値のある黄金が地球上の山々にいまだ光を見ずに眠っていることを知りなさい。そしてもしそれらがなかったとしたら、「すべての素となる思考体」があなたの必要に応え、さらなる黄金を作り出すことをしりなさい。


あなたが必要とするお金は、必要とあらば千人の男たちが明日新たな金鉱を見つける必要があるとしても、かならずやってくるということを知りなさい

目に見える資源を見ることなく、「形のない存在」に無限の富をさがしなさい。そしてあなたが受け取り使い始めたそばからその富はやってくることを知りなさい。

見える資源を独り占めしたからといって、誰もあなたがあなたのものを得るのを邪魔することはできないのだ。

 

だから一瞬たりともあなたがいそがないことには自分の家を建てる準備をするまえに、その場所に最適な土地はなくなってしまうなどとは考えてはいけない。

信用組合や連合に不安をいだいて、彼らがすぐに地球のすべてを所有するなどという恐怖におびえてもいけない。

あなたが欲しいものを他人があきらめさせようとするからといってあなたがそれをなくすことにおびえてもいけない。そんなことはありえない。あなたは他人が所有するものを欲しがることはないのだから。
あなたが欲しいとおもうものは、形のない存在がそれをつくりだすきっかけとなるのである。供給は無限である。

 

この以下のまとめに忠実でいなさい。

 

この世にはすべてのものを作り出す「考える、唯一である存在」がある。それは通常の状態であれば浸透し、貫き、宇宙空間を満たしている。
その存在にある、あるひとつの考えは、その考えの中で思い描かれたそのものが作り出されるのである。
人は自身の思考のなかで物を形づくることができる。そしてその考えを「無形の存在」に印象付けることで、作り出そうと考えたそのものを生み出すことになるのである。

Chapter 5 end




2007年10月16日 (火)

いま読んでいる本

日本から持ってきた「セスは語る」(原題:Seth Speaks)を読み始めています。
とてもオリジナルのイメージに近い感覚で読むことができる翻訳で、とてもホッとしています。

こういう翻訳だったら、日本語の方が頭に入ってきます(ナマケモノ・笑)

amazonの評価にあったとおり、一度に読むことができない本です。
言い回しが原著に忠実なぶん、たしかに何度か同じ文章を読んで噛み砕く必要があるので、流し読みしたいときにはこの本は不向きですが、これ一冊でいろんな疑問の答えがもらえそうです。

エイブラハムのエスター・ジェリー・ヒックス両夫妻、マイク・ドゥーリィ氏も大きな影響を受けた、ということで興味を持って購入してみましたが、まだ初めのさわりしか読んでいないにもかかわらず、この本は一生持ち続けるだろうと確信しています。

でも・・・
読み始めたのが2日前ですが、やたら眠くなる。
会社でも休憩中にソファで寝たりしてます。(笑)
魂のレベルで影響を受けているのかな、調整が行なわれているんでしょう。

この本は一気読みする本ではなく、少しずつ理解しながら読み進めていくべき本なのでしょうね。

それにしても、この量を翻訳した紫上はとるさん、お疲れ様でした。そしてありがとうございます。
つぎ(Nature Of Personal Reality)はいつ出るんでしょう?(笑)
まだ一冊目も読み終わっていないですが・・・

めったに本に書き込んだりしない私ですが、この本にはすでにいくつか線が入りました。

これまで読んだなかでも強く同意したい部分が以下の部分です。

『セスが強く言わんとしているのは、「真実」は、師から師へ、あるいは宗教から宗教へ、宗派から宗派へ、さらには戒律から戒律へと渡り歩くことで得られるものではなく、自己の内なる部分を見据えることによってはじめて得られるということです。よって、意識に関する深遠なる教えや「宇宙の謎と真実」は、一般の人々から遠ざけておくべき秘儀などではないのです。』

(セスは語る ジェーン・ロバーツ著 ロバート・バッツ記録 ナチュラルスピリット社刊 『はじめに』 P22)

セスは語る―魂が永遠であるということ

おそらくは絶妙なタイミングなのでしょうが、私のいるNZ南島で、昨日から地震が何度かありました。地震、津波などの天災についてもセスはこの本の中で語ってくれるそうですが、早くその部分を読みたいですね。でも、いつになることやら・・・(苦笑)

2007年10月15日 (月)

The Science Of Getting Rich (富を得る科学)第4章


皆様、こんにちは!(こんばんはかな?)

いま友人の家の留守番をしています。
猫と、ニワトリの世話役をしています。
すごく素敵な特典が、ニワトリの産んだ卵をいただくことができること!
生まれたての卵をいただきましたが、おいしい~~!(^v^)

幸せな気分を味わうことができて、留守の友人に感謝です。

Hen_2

さて、本題の、「富を得る科学」をお送りします。

声がすぐにかすれてしまうのは、のどの使いかたが悪いのでしょうか?
それとも鍛えれば強くなるのかな?

これは、カラオケで歌いすぎて声がかれるあの感じに似ています(笑)

*****************************************************


 

富を得る科学 Chapter 4 第一の法則

 

思考は無形の要素から見える形での富を生み出すことが可能な唯一の力である。

すべてのものを作り出すその「もの」は考える存在であり、その「もの」のなかで考えられた形がそのままその形を生み出す

 

その元となる存在はその思考にそって動いている。自然のなかにあるすべての形やその過程は、元となる存在の考えが見える形で現れているのである。

形のない要素が形を考えることにより、そのとおりに自らを形作る。その動きを考えることにより、その通りに自らを動かしている。そうやってすべてのものが作り出されたのである。われわれは思考の世界に生きている、思考の宇宙の一部である。

宇宙が動いているという考えは、無形の存在を通して宇宙をさらに広げ、思考するものはその思考のとおりに動く。惑星のシステムをつくり、その形を保っている。

考える存在はその考えの通りの姿になり、その考え通りの動きをする。

太陽と世界が循環するシステムという考えをもつと、その通りの物体を形作り、そしてその考えどおりの動きを見せる。

ゆっくりと育つ樫の木の姿を考えると、その木はその考えをもとにした動きを見せる。そしてその木を生み出す。その一連の作業に何世紀もかかったとしても。

創造には無形の存在が決められたとおりの一連の動きをしているようである。

樫の木という考えは一瞬にして大きく成長した木を生み出すことにはならないが、やがてその姿になるように成長する力が備わっているようである。

 

あらゆる姿の思考は考える存在の中に保たれており、形を創造するきっかけとなっている。しかしつねに、または通常は、どのように成長するかやどのように動くかはすでに決まっているのである。

 

ある工法によって作られる家は無形の存在にその姿を印象付けたとして、一瞬でその形が現れるわけではないが、すでに商取引の世界に存在する創造性のあるエネルギーに働きかけて、その家が完成するのを早める結果を生むであろう。またもしすでにそういった創造性のあるエネルギーが働きかけることのできるような道すじが存在しないとしたら、その家の存在は有機物や無機物のゆっくりした手順を待つことなく、もともとの第一の要素からそのまま形を現すことになる。

 

 

形という思考はその形を生み出さずには、源となる存在を突き動かすことはできないのである。

 

人間は考えの中枢になっている。そして考えを生み出すことができる。その人間がまとっているその手は、まず最初にその人が考えたからこそ存在するのである。考えがなければ、その人間はなにを生む出すこともできないのだ。

 

現在のところ、人間はなにをするにも自分の手によって生み出すことに限定されている。

その人は物質の世界に手を使い、すでに存在したものを改造したり、変更したりしようとしている。その人は形のない存在に「考える」事によってその形を印象付け、新しい物を生み出すという試みには考えがおよぶことはない。

 

一人の人間がある考えを思いつくとき、その人は自然の中にある素材を使い、その姿を自分のこころの中にイメージする。いままでは無形の知性、つまり「父なる存在」と協力しようとすることはほとんどないに等しいものであった。人間はすでにあるものを自分達の手をつかってかたちを作り変えたり、変更を加えたりしてきており、その人が目の当たりにしている「父なる存在」が成し遂げるようなことが自分でもできるとは夢にも思っていないのである。自分が考えることによって無形の存在から何かを生み出すかもしれないという疑問はまったく考えない。

われわれは、それが可能であることを証明しよう。男も女もそれが可能であることを証明しよう。そしてその方法もまたお教えしよう。ます第一歩として、3つの大前提をここでご紹介しなければならない。

 

まず第一に、この世には唯一の源となる無形の存在があるということである。そしてそこからあらゆるものはつくられている。すべてのものはまったく違うものにみえるが、じつは一つの要素が姿を変えているだけである。自然界で見られる、かたちの違うさまざまな有機物や無機物は、すべて同じものから生み出されたものである。そしてそのものとは、考える存在である。その存在はみずからが考えた、その考えそのものになる。考え、つまり考える存在が形を生み出す。人間は考える中心の存在である。元となる考えを生み出すことができる。もしその人物が「源である考える存在」と考えをやり取りすることができれば、その人は考えたとおりに形作り、創造することができるだろう。

 

まとめるとこのようになる・・・




この世にはすべてのものが生み出されるものとなる「思考する存在」があり、そのもともとの状態は浸透し、貫通し、世界のすべての空間を満たしている存在である。

 

その思考という要素自体はそれ自体が想像したそのものを作り出す。

 

人間は自分の考えのなかでものごとを作り出すことができる。そしてその考えを無形の構成要素となる存在に印象付けることにより、それを実現化することができる。

 

このような発表をして、それを証明できるのか、と訊ねる人もいるかもしれない。
わたしは理論的にも、そして経験からも、できると答えよう。

 

思考と形成の現象から、私は「もととなる一つの考える要素」と結論づけ、

そしてこの「考える要素」から、人間の考える力こそが、その人間が考えたまさにそのものを、作り出す理由だと結論付ける

 

そして、経験からも、この理論付けは真実である。これがおもな証拠である。

 

もし一人の人間がこの本を読み、それに書かれたとおりのことをして金持ちになれば、それが私の主張することを後ろ盾する証明となるだろう。しかし、もしすべての人間がこの本の通りに行動して金持ちになったら、それはだれかが同じようにして失敗しないかぎり、
非常に力強い証明となるはずだ。その手順が失敗に終わるまで、この理論は真実であるといえる。そして、この手順は失敗することはない。どの人間もこの本のいうとおりにすれば、かならず金持ちになるのだから。

 

富を得るにはあるやりかたで物事に当たった結果であると述べたが、そうするにはある方法でものごとを考えることができるようにならなければならない。

 

人が何かをするときは、その人物がそのことについて考えた、まさにその結果である。

 

思うように何かをしたいならば、そのようにしたいと考えることができる能力を身につけなければならない。これは富への最初の第一歩である。

 

望むように考えるためには、見た目にまどわされることなく、真実を考えることである。


すべての人間にはもともと自分の望むように考えることができる力が備わっている。しかしそうするためには外見が示していることを考えるよりもはるかに努力が必要である。

見た目の通りに考えるのは簡単だ。しかし見た目にかかわらずその真実を考えるのは面倒なことであり、ほかのどんな働きよりも努力を必要としている。

 

大半の人がそういった慢性的な考えに支えられて萎縮してしまうが、それから生み出されるものはない。そういったことは世界でも一番の苦行である。とくに見た目と真実が裏腹の場合はとくにそうである。すべての目に見える世界のものはそれに反応した形を心の中で作り上げる。そしてそれを実際に目の当たりにするのである。

それを防ぐためには真実を心にしっかりと保つ以外にない。

 

病気という外見を見るとき、私たちは自分の心の中でそして最終的には自分の心の中で病気を作り出す。ただし自分が真実を心に保つならべつである。つまりこの世に病気というものは存在しないという真実だ。見た目は見た目である。そして真実は、つまり健康であるということだ。

 

貧困という外見を見るとき、あなたは心の中でそれに相応した姿を作り出している。ただし本当の意味での貧困は存在しないという真実をあなたが心に保つならべつなのだ。存在するのは豊かさだけだからだ。

 

見た目には病気だらけの中で健康を考えるとき、または見た目には貧困だらけのなかで富を考えるとき、それには労力が必要である。しかしこの労力をつかい実際に行う人はマスターマインド、つまり心をマスターするということである。かれは運命を克服できる。そして欲しいものはなんでも手に入れることができるのだ

 

この力はすべての見た目に隠される基本的な真実をしっかりとつかむことで初めて得られる力である。つまりこの世に存在するのは唯一「考える存在」だけであるという事実、そこから、そしてそれによってすべてのものは作り出されるという事実を。

ではわれわれはこの、考える存在の中で抱かれた思考が姿を形作るという真実を理解しなければならない。そしてまたその人もまたそれに自分の思考を印象付けることによって目に見える形になるのである。

 

私たちがこれに気づいたとき、私たちは疑いや恐怖から解放される。なぜなら私たちは自分達が望んだことを現実化することができるからである。私たちは望むものをすべてもつことができる。なりたいものになることができる。豊かになるための最初の第一歩として、あなたはこの章の前の部分で述べられたこの3つの理念を信じなければならない。

そしてそれをもっと印象付けるために、ここで改めて繰り返そう。

 

この世で作られるすべての存在は、考える「存在」である。そしてそれはもともとの状態では、透き通り、すべてのものを通り抜け、宇宙のすべての空間を満たしている存在である。

 

この存在の中で「思考」は、考えのなかで思い描かれたものをつくりだす。

 

人は考えることでものを作り出すことができる。そして「姿のない存在」にその考えを印象付けることによって、彼が作ろうとしたものが作り出されるのである。

 

あなたはこれ以外の宇宙に対する考えをいったん保留にしておかなければならない。

そしてこの考えがこころにしっかりと定着し、そう考える癖が付くまで、その考えに没頭しなければならない。

 

この定義を何度も何度も読みなさい。一つ一つの言葉をこころにしっかり刻みなさい。

そしてここで述べられていることが信念と呼べるようになるまでそれについて瞑想しなさい。もし疑いの心が浮かんだなら、それは罪だとして抹殺しておしまいなさい。
この考えに反対するものには耳を貸してはならない。この考えと相反する説教や話をする教会や講演には行ってはならない。これと違う考えを教える雑誌は読んではならない。

もしあなたの信念がごちゃごちゃになってしまったら、すべてが水の泡になってしまうのだから。

 

なぜそれが真実なのかは聞かないことだ。また「いったいどうやったらそれが真実と呼べるのか」という疑問を証明してもならない。ただ信じるのみが良いのである。

豊かになる科学はまさにこの信条を絶対のものとして受け入れてこそ始まるのである。

 

Chapter 4 End

2007年10月 9日 (火)

写真

みなさまこんばんは~(^^)

さてさて、先日日本に帰国したときの写真で、撮ってみたかった写真が取れていました。

25sep07brocken_2

飛行機のまわりに虹が出る、ブロッケン現象というものだそうですが、
自分の飛行機の影を包むように虹が出るなんて、すごく幸せな気分でした。

か・な・り・揺れたんですがね(笑)

25sep07nyndaga

おまけの機上のニンダガ君です。

もひとつおまけに・・・

24sep07nyndaga_3

日本の駅のホームでたたずむたそがれニンダガ。

(ニンダガ君とは、Sachiがオーストラリア滞在中に出会った人からいただいた、トラのぬいぐるみです。出かけるときはかならず一緒に旅をするなかまです。) 

2007年10月 8日 (月)

The Science Of Getting Rich (富を得る科学) 第3章

みなさま、こんにちは~

「富を得る科学」の第3章をお送りします。

日本は涼しくなって来ていますか?
こないだ日本のお友達が、10月なのにまだ30度ある、という話をしていました。
ひぇ~~!!!

でも、こっちもかなりまだ寒いです~~
先週は雨、雨、雨で、久々に見えた山が真っ白になっていました。
春はどこ行った?

さてさて、自分でポッドキャストを聞き返して、やっぱり硬い、と感じてしまいました。
理解してもらえないと悲しいので、思い切ってこちらで訳したものを公開することにします

たま~に朗読で違った読みをしているところもあるかもしれませんが、
ご愛嬌ということで・・・

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富を得る科学 Chapter 3 チャンスは独占されているのか

 

 

他の誰かが富を独占し、その周りに柵を作ったためにチャンスを奪われ、ゆえに貧しいままでい続けるという人は誰もいない。ある種のビジネスに携わることができなくなってしまっていることはあるかもしれないが、他の道はあなたに開かれている。

おそらく鉄道関係を自在にコントロールすることは難しいだろう。その方面はほぼ独占されているからだ。だが電気鉄道関連のビジネスはまだ生まれたばかりで、企業が入る余地は充分にある。そして空を交通の手段にする業界が大きくなるまで何年もその状態が続くだろう。そして何百人も、おそらく何百万人という単位での人々に仕事という雇用を提供することになるだろう。蒸気機関車の業界でJ.J.Hillや他の人々と成功を競うよりも、空の交通に目をつけてみるのはどうだろうか。


たしかに、あなたが鉄鋼の組合からの雇われ人であるなら、働いている鉄鋼の工場長になることはほぼないに等しいだろう。しかしあなたが「ある方法」にのっとって行動を始めるなら、すぐにその鉄鋼組合の雇用関係から離れることができるだろう。10から40エーカーの農場を買い、食物を生産するビジネスを始められるだろう。今の時代は小さな土地住む人間が集中して同じように開拓することに大きなチャンスがある。そういう人は必ず金持ちになる。

土地を買うなんて、そんなことは無理だよ、と貴方は言うかもしれない。しかしわたしはこれからあなたにそれが無理ではないということを証明しよう。そしてもちろんあなたがこの「ある方法」にのっとって動くなら、当たり前のように農場を得ることができるということも。

 

時間が違えば汐の満ち引きも違う方向に流れるように、社会の変革の訪れやさまざまな段階、そして全体の必要性によって、チャンスは違う方向に存在する。

1912年現在のアメリカでは農業やさまざまな職業、業界が連盟を結ぶ方向に向かっている。
今日、チャンスは工場の労働者にも開かれている。過去のどの時代よりも、工場に物を届けるビジネスマンよりも、農家に納品物を届けるビジネスマンのほうに開けている。労働階級に接するよりも農家に接する専門職のほうに開けている。

 

あふれるほどのチャンスは流れに逆らって泳ぐよりも、流れに乗って泳ぐ人に与えられる。

 

よって工場で働く労働者は一人に対してもその階級に対しても、ながれから取り残されているわけではない。 労働者はその主人から「押さえつけられている」わけではない。まとまった資本や信用組合などに「底辺にのこされている」わけでもない。

階級の人々に対していうなれば彼らはものごとを「ある方法」にのっとって行っていないために、いまでもそこにいるのだ。

もしアメリカの労働者達がそう決めれば、ベルギーや他の国に住む兄弟の例にならうことができるだろう。大きなデパートを創り、さまざま協力関係をもつ業界を生み出すだろう。そして自分達の中から政治家になる人を選び、そのような業界にとって都合のよい法律を通過させ、何年かすればその業界を平和的に自分達のものにすることができるのだ。

 

労働階級はものごとを「ある方法」にのっとって行動すればいつでも雇用主などの階級に変わることができる。富の法則は彼らにとっても、そのほかにとっても同じなのである。

これらは学ばなければならない。そして彼らが同じ事を続ける限り、そこにい続けることになるのだ。しかし一人一人の労働者はその階級全体の無知さや知ろうとしない精神的怠惰に足を引っ張られることはない。かれは富へのチャンスの波を追うことができる。そしてこの本はそれを伝えようとしている。

 

富が足りないからといって人は貧困に甘んじるということはない。人々すべてに分け与えてもそれ以上に富はあるのだ。アメリカの資材だけでも地球に住むすべての家族にそれぞれワシントンほども大きな豪華な邸宅を建てることができる。そして集中した開拓の結果、この国はソロモン王がその栄光のもとに与えたものよりもはるかに高品質の羊毛、綿、麻、絹で作られた服を世界の一人一人に与えることができるのだ。


この見える供給は尽きることがない。そして見えない供給はまさに尽きることがないのだ。

 

あなたがいま目にしている地球上のすべてのものはひとつの要素、または物質からできている。そこからすべてのものが発生している。

 

新しい姿はつねに生み出され、古いものは分解されている。しかしすべての形あるものは「ある存在」から生まれたものである。

 

もともとの存在や無形の存在は無限にある。宇宙はその存在から創られている。しかし宇宙を創られたときにすべてを使い果たされたわけではない。われわれが見ることのできる宇宙は、形あるものどうしの間にも、その端から端まで、そして内部をその無形物、すべての原料となる「素となる存在」が浸透し、満たしているのである。今まで作られたものも今後10000倍もの量がつくられえる。そのときでさえ我々は宇宙の原材料となる存在を使い果たしたことにはならないのだ。

 

そのようなことから、「資源がたりない」結果の貧乏人や、もともとの貧乏人、という人間はいないのだ。

 

自然は無限の富の倉庫である。供給が途絶えることはない。「素の存在」は創造するエネルギーを持っている生きた存在である。そしてつねに形あるものを生み出している。もし建材を使い果たしたとしたら、また新たに生み出されるだろう。もし土壌を使い果たし食べるものや着るものをもう生み出せなくなったとしたら、その土壌はまた新しくなるか、さらなる土壌が作られるだろう。もし地球上からすべての金銀を掘り起こされてしまったら、もし人間がまだ金や銀を必要とするような発展途上の社会にいるとしたら、無形の存在からまた新たに生み出されるであろう。無形の存在は人間の「必要性」に反応する。よいものがない状態で彼らを存在させることはない。

 

人種全体としてみると、その集合体は非常に裕福である。それは事実である。そしてもし一人一人が貧しいなら、それは人を豊かにするある方法でものごとを行っていないからなのである。

 

無形のそれは知性にあふれている。それは考える存在である。それは生きている。そしてつねにさらなる生をと促しているのである。

 

もっと生き生きと生きたいという生命への衝動はまったく自然で、人間に本来備わっているものである。それは拡大したい、それはもっと自分を表現したい、もっと限界を広げたいという自然本来の知性である。形あるものでなる宇宙は生きた無形の存在で作られている。もっと自身を表現するために、自身を形に変えているのである。

 

宇宙はすばらしい生きた存在である。つねにもっと生きよう、もっと動こうとしているのである。

 

自然は生命を発展させるために創られた。その目的は生命をふやすためにある。そのため、すべての命を維持するのに必要なものは豊富に与えられている。神が自分に矛盾して自分の作り出した芸術を無にしようとしない限り、「欠乏」というのはありえない。

 

あなたは富への供給が足りないために貧しいままにおかれているのではない。実際に無形の供給資源がいかに男女が「ある方向」で物を考え、行動する人の命令に従うかをもう少し立証してみよう。


Chapter 3 End



2007年10月 4日 (木)

すごい!すごい!

みなさま、こんにちは~~

冬に逆戻りしたような寒さのNZ南島からこんにちは!
昨日は吹雪、NZの定番観光地でもあるミルフォードサウンドへの唯一の道が閉鎖されて、
スキー場がクローズになってからじゃんじゃん積もってしまった山が、
晴れたら新雪でとってもきれいだろうなと思いますが、
現在(NZ時間2時40分)雨、雨、雨、山は雪であろうと思われます。

ず~っと書こう、と思っていたことを、やっと先ほど思い出したので、忘れないうちに書いてしまうことにします!

世界最大の水晶群の写真のリンクが、会社のおもしろいITのお兄さんから廻ってきたのが数ヶ月前。思いっきり感動したのが、
この写真。

Naica Crystal Mine

メキシコのチワワという地域にある水晶群の写真です。
大きいものでは幅12メートルなんていうものもあるそうです。

ひや~~!見てみたい!
一般公開はされてないそうですが、湿度100%、中の気温が60度もあるそうです。
お友達で「クリスタルの近くにいくと頭がいたくなる」という人がいますが、
彼女は間違っても行きたがらないだろうなあ。

このあたりの気の流れはどんな感じなんでしょうね?
興味津々です。

2007年10月 1日 (月)

The Science Of Getting Rich (富を得る科学) 第2章

みなさま、こんにちは!

BBQ好きのNZの皆さんのせいで夏時間が早まって、睡眠時間が1時間減った上に、
明日から10月1日なので仕事が夏のピーク時のタイムテーブルになり、
ゆえに朝の6時半始まり、最終までノンストップ、そのあとバイトが入ってしまって
ハラホロヒレハレなSachiです。

まあ、バイトは自分でするかしないかを決めるので文句は言えませんが(^^;)

がんばれSachi!日本でつかったクレジットカードのためだ!おー!!

俗な独り言でした(笑)

さて、「富を得る科学」の第2章(Chapter 2)の音声ファイルをお届けします。

次に日本に帰ったら、ぜひ朗読のレッスンでも受けてみたいですね。

難しいです。でもおもしろい。

(10月7日追記)

訳したものを載せることにしました。

これですこしでも理解が深まればいいのですが・・・(^^)


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富を得る科学 Chapter 2 – 富を得る科学の存在

 

富を得るための科学がある。それは代数や算数のように科学そのものである。

 

富を得る過程を支配するれっきとした法則がある。その法則をひとたび学び従えば、どんな人間でもまるで数学の答えを出す確かさでその人は豊かになる。

 

お金や持ち物を所有するというのは、あることを決まった方法で行った結果に過ぎない。

このような方法で事を行う人は、例えそれが意識的であろうと無意識であろうと、金持ちになる。そして、そうでない人はどんなに必死に働こうとも、貧しいままである。

 

似たような原因が似たような結果を生むのは、自然な法則である。ゆえに男も女もものごとをこの「ある方法」で進めるものは、例外なく豊かになる。

このようなことが本当だという根拠は次の通りだ。

 

金持ちになるのは環境の結果によるものではない。もしそうだとしたら、決まった地区の住民は隣近所みな裕福になるはずである。一都市の人間は一人残らず金持ちになるし、それ以外の町の住人はすべて貧しいはずである。一都市の住人は富に包まれ、その隣の住民は貧困に包まれる。

しかし実際には、金持ちも貧乏人も隣りあわせで生きている。

同じような環境で、またしばしば同じ商売をしていることもある。

二人の人間が同じ地域で、同じ商売を営んでいるとき、片方は金持ちになり、もう片方は貧乏人のままなのである。

このことから環境が金持ちになることの主な要因とはいえないことがわかる。

ある環境はたしかに他よりも有利ではあるかもしれない。しかし二人の人間が同じ商売を同じ地域で営むとき、一人が金持ちになり、もう一人は失敗することは金持ちになることとはあることをある方法で行った結果であることを示している。

 

さらに言えることは、このものごとをある方法で行うことはその才能があるからということでもない。

大勢のすばらしい才能を持つ人が貧しいままでいる一方で、才能などないに近しいものが金持ちになるのだから。

 

お金持ちになった人を研究するうち、その人々はすべての面でみな人並みであることがわかった。他の人よりも才能がずば抜けているということはないのだ。

このことから彼らは他の人にはない才能や能力があったからではなく、たまたまものごとをある手順で行ったに過ぎないことがわかる。

 

金持ちになるのは 貯金や節約の結果によるものでもない。大勢の倹約かは貧しい人たちであり、自由になんにでもお金を使う人が金持ちになることは良くある話だ。

 

他の人が失敗したことをやったから金持ちになった、というものでもない。同じ商売をしている二人の人間がほとんど同じ事をしているにもかかわらず、一人は金持ちになり、もう一人は貧しいままだったり、破産することもある。

 

これらのことをすべてかんがみても、豊かになるということは、ものごとを決まった方法で行った結果であるという結論に至らざるを得ない。

 

豊かになることがものごとを決まった方法で行った結果だとしたら、そして似たような原因が常に似たような結果を生むとしたら、男も女もその方法を行うなら金持ちになれる。

そしてその要点は科学そのものの領域に位置づけられる。

 

ここである疑問が浮かんでくる。

 

はたしてこの「ある手順」というのはごくわずかな人しかできないほど難しくないかもしれないのではないかという疑問だ。通常の能力という点からすれば、難しいはずはない。

才能ある人間も金持ちになれば、おろかな人間も金持ちになる。知識あふれる聡明な人も金持ちになり、また非常に鈍い人間も金持ちになる。身体の力強い人間も金持ちになれば、か弱く病気がちの人も金持ちになる。

 

ある程度の考える力や理解力はもちろん不可欠である。しかし、通常の能力の範囲で考えるならば、男も女も読み書きなどの理解力で充分金持ちになれる。

 

また、それは環境に左右されるものでもない。立地について言えばそれなりに影響力はあるが。商売を成功させようとして、サハラ砂漠のど真ん中に行く人はいないだろう。

 

金持ちになることには人を相手にする必要がある。そして商売の対象になるような人々がいる場所に居合わせることも必要である。そしてこれらの人々があなたが望む方法で取引をしたいと考えるならさらによい。しかし、環境に関して言えばここまでである。

 

もしあなたの住む街の誰かが金持ちになれるなら、あなたもなれる。そしてあなたの住む州や地域に住む人が金持ちになれるなら、あなたもなれるのだ。

 

もう一度言おう、ある特定のビジネスや職業を選ぶことではない。人々はどのビジネスでも金持ちになり、どの職業でも金持ちになれる。そしてその隣近所で同じ商売をしているものが貧しいままでいるというように。

 

たしかに、あなたが自分の好きな商売をすれば、あなたにとっては一番成功するだろう。それはあなたにとっての適職でもあるだろう。そしてあなたが何か才能があり、それが充分に伸ばされたものであれば、その才能を必要とする商売をすれば成功するだろう。

 

また、地域に適した商売をすることも成功につながるだろう。

アイスクリーム屋は寒いグリーンランドよりは暖かい気候のほうが繁盛するだろうし、サーモン(鮭)漁は鮭がいないフロリダよりは北西の方が成功するだろう。

 

しかしこういった一般的な限界を除けば、金持ちになることはあなたがある特定の商売をするかしないかによるものではない。あなたがものごとを決まった方法で運ぶことを学ぶかどうかによるものなのだ。あなたが金持ちではないとして、もしあなたがいま商売をしていて、地域の同じ商売をしているほかのひとが金持ちになっているならば、それはあなたが他の人とある物事をおなじようにしていないからに他ならない。

 

だれも資金不足が原因で豊かになることを妨げられることはない。たしかに資金を得ることでその増え方は簡単に、また速度も増すだろう。しかし資金があるものはすでに金持ちであり、どうやって金持ちになろうかなどと考える必要はない。あなたがどんなに貧しかろうと、このものごとを決まった方法で進めていくことによって、あなたも豊かになりはじめる。そして資金も集まり始めるだろう。資金を得るというのは金持ちになるための過程であり、ものごとをこの「ある方法」で行っていけばかならず結果の一つとしてついてくるものだからだ。

 

あなたは大陸でいちばん貧しい人かもしれない。多額の負債を抱えているかもしれない。友達もなく、影響力もなく、資質もないかもしれない。しかしあなたがこの方法でものごとを行うなら、似たような原因が似たような結果を生むように、間違いなく金持ちになり始めるだろう。

 

もし資金がなければ資金を得、もし間違った商売をしているなら、本来すべき商売を始められるだろう。もしあなたが間違った場所にいるなら、最適な場所にいけるだろう。そしてそれは今のビジネスで、今いる場所からでも成功をもたらす「ある方法」でものごとを進めていくことからはじめられるのだ。

 

Chapter 2 End


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