The Science Of Getting Rich (富を得る科学) 第3章
みなさま、こんにちは~
「富を得る科学」の第3章をお送りします。
日本は涼しくなって来ていますか?
こないだ日本のお友達が、10月なのにまだ30度ある、という話をしていました。
ひぇ~~!!!
でも、こっちもかなりまだ寒いです~~
先週は雨、雨、雨で、久々に見えた山が真っ白になっていました。
春はどこ行った?
さてさて、自分でポッドキャストを聞き返して、やっぱり硬い、と感じてしまいました。
理解してもらえないと悲しいので、思い切ってこちらで訳したものを公開することにします
たま~に朗読で違った読みをしているところもあるかもしれませんが、
ご愛嬌ということで・・・
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富を得る科学 Chapter 3 – チャンスは独占されているのか
他の誰かが富を独占し、その周りに柵を作ったためにチャンスを奪われ、ゆえに貧しいままでい続けるという人は誰もいない。ある種のビジネスに携わることができなくなってしまっていることはあるかもしれないが、他の道はあなたに開かれている。
おそらく鉄道関係を自在にコントロールすることは難しいだろう。その方面はほぼ独占されているからだ。だが電気鉄道関連のビジネスはまだ生まれたばかりで、企業が入る余地は充分にある。そして空を交通の手段にする業界が大きくなるまで何年もその状態が続くだろう。そして何百人も、おそらく何百万人という単位での人々に仕事という雇用を提供することになるだろう。蒸気機関車の業界でJ.J.Hillや他の人々と成功を競うよりも、空の交通に目をつけてみるのはどうだろうか。
たしかに、あなたが鉄鋼の組合からの雇われ人であるなら、働いている鉄鋼の工場長になることはほぼないに等しいだろう。しかしあなたが「ある方法」にのっとって行動を始めるなら、すぐにその鉄鋼組合の雇用関係から離れることができるだろう。10から40エーカーの農場を買い、食物を生産するビジネスを始められるだろう。今の時代は小さな土地住む人間が集中して同じように開拓することに大きなチャンスがある。そういう人は必ず金持ちになる。
土地を買うなんて、そんなことは無理だよ、と貴方は言うかもしれない。しかしわたしはこれからあなたにそれが無理ではないということを証明しよう。そしてもちろんあなたがこの「ある方法」にのっとって動くなら、当たり前のように農場を得ることができるということも。
時間が違えば汐の満ち引きも違う方向に流れるように、社会の変革の訪れやさまざまな段階、そして全体の必要性によって、チャンスは違う方向に存在する。
1912年現在のアメリカでは農業やさまざまな職業、業界が連盟を結ぶ方向に向かっている。
今日、チャンスは工場の労働者にも開かれている。過去のどの時代よりも、工場に物を届けるビジネスマンよりも、農家に納品物を届けるビジネスマンのほうに開けている。労働階級に接するよりも農家に接する専門職のほうに開けている。
あふれるほどのチャンスは流れに逆らって泳ぐよりも、流れに乗って泳ぐ人に与えられる。
よって工場で働く労働者は一人に対してもその階級に対しても、ながれから取り残されているわけではない。 労働者はその主人から「押さえつけられている」わけではない。まとまった資本や信用組合などに「底辺にのこされている」わけでもない。
階級の人々に対していうなれば彼らはものごとを「ある方法」にのっとって行っていないために、いまでもそこにいるのだ。
もしアメリカの労働者達がそう決めれば、ベルギーや他の国に住む兄弟の例にならうことができるだろう。大きなデパートを創り、さまざま協力関係をもつ業界を生み出すだろう。そして自分達の中から政治家になる人を選び、そのような業界にとって都合のよい法律を通過させ、何年かすればその業界を平和的に自分達のものにすることができるのだ。
労働階級はものごとを「ある方法」にのっとって行動すればいつでも雇用主などの階級に変わることができる。富の法則は彼らにとっても、そのほかにとっても同じなのである。
これらは学ばなければならない。そして彼らが同じ事を続ける限り、そこにい続けることになるのだ。しかし一人一人の労働者はその階級全体の無知さや知ろうとしない精神的怠惰に足を引っ張られることはない。かれは富へのチャンスの波を追うことができる。そしてこの本はそれを伝えようとしている。
富が足りないからといって人は貧困に甘んじるということはない。人々すべてに分け与えてもそれ以上に富はあるのだ。アメリカの資材だけでも地球に住むすべての家族にそれぞれワシントンほども大きな豪華な邸宅を建てることができる。そして集中した開拓の結果、この国はソロモン王がその栄光のもとに与えたものよりもはるかに高品質の羊毛、綿、麻、絹で作られた服を世界の一人一人に与えることができるのだ。
この見える供給は尽きることがない。そして見えない供給はまさに尽きることがないのだ。
あなたがいま目にしている地球上のすべてのものはひとつの要素、または物質からできている。そこからすべてのものが発生している。
新しい姿はつねに生み出され、古いものは分解されている。しかしすべての形あるものは「ある存在」から生まれたものである。
もともとの存在や無形の存在は無限にある。宇宙はその存在から創られている。しかし宇宙を創られたときにすべてを使い果たされたわけではない。われわれが見ることのできる宇宙は、形あるものどうしの間にも、その端から端まで、そして内部をその無形物、すべての原料となる「素となる存在」が浸透し、満たしているのである。今まで作られたものも今後10000倍もの量がつくられえる。そのときでさえ我々は宇宙の原材料となる存在を使い果たしたことにはならないのだ。
そのようなことから、「資源がたりない」結果の貧乏人や、もともとの貧乏人、という人間はいないのだ。
自然は無限の富の倉庫である。供給が途絶えることはない。「素の存在」は創造するエネルギーを持っている生きた存在である。そしてつねに形あるものを生み出している。もし建材を使い果たしたとしたら、また新たに生み出されるだろう。もし土壌を使い果たし食べるものや着るものをもう生み出せなくなったとしたら、その土壌はまた新しくなるか、さらなる土壌が作られるだろう。もし地球上からすべての金銀を掘り起こされてしまったら、もし人間がまだ金や銀を必要とするような発展途上の社会にいるとしたら、無形の存在からまた新たに生み出されるであろう。無形の存在は人間の「必要性」に反応する。よいものがない状態で彼らを存在させることはない。
人種全体としてみると、その集合体は非常に裕福である。それは事実である。そしてもし一人一人が貧しいなら、それは人を豊かにするある方法でものごとを行っていないからなのである。
無形のそれは知性にあふれている。それは考える存在である。それは生きている。そしてつねにさらなる生をと促しているのである。
もっと生き生きと生きたいという生命への衝動はまったく自然で、人間に本来備わっているものである。それは拡大したい、それはもっと自分を表現したい、もっと限界を広げたいという自然本来の知性である。形あるものでなる宇宙は生きた無形の存在で作られている。もっと自身を表現するために、自身を形に変えているのである。
宇宙はすばらしい生きた存在である。つねにもっと生きよう、もっと動こうとしているのである。
自然は生命を発展させるために創られた。その目的は生命をふやすためにある。そのため、すべての命を維持するのに必要なものは豊富に与えられている。神が自分に矛盾して自分の作り出した芸術を無にしようとしない限り、「欠乏」というのはありえない。
あなたは富への供給が足りないために貧しいままにおかれているのではない。実際に無形の供給資源がいかに男女が「ある方向」で物を考え、行動する人の命令に従うかをもう少し立証してみよう。
Chapter 3 End

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